フジテレビの今期ドラマが全滅状態!月9の視聴率はワーストレベル、三谷幸喜渾身の「もしがく」は史上最低の期待外れドラマ確定で終了寸前と話題に!
本当だったら「もしがく」と月9の話題は別にお話しようと思ってましたが、
ぶっちゃけ最近はフジテレビの話題が多すぎて、月9まで目を通す気力もないので、まとめてお届けしたいと思います。
ということで前半ではフジテレビの今期ドラマに関する話題をお届けしたうえで、
後半ではパウラが今期、唯一ちゃんと見ている三谷幸喜渾身の「もしがく」第5話について、
文字通り「史上最低の期待外れドラマ」になったというレビュー動画をお届けします。
なお「史上最低」という言葉を使っているのは別に悪口ではなく伏線です。
どこかのドラマと違ってキッチリ回収しますから、ぜひ最後までご覧ください。
それでは本題の前に言っておきます。
フジテレビ、これは悪口ではない、酷評だ、いいな?
それではまずパウラちゃんねるがまとめた話題から見ていきましょう!
今回の話題
2025年秋、フジテレビの看板枠である月9ドラマは歴代ワーストレベルの状態で、さらには社運をかけて制作した三谷幸喜脚本の「もしがく」が大惨敗。
他のドラマも含めて視聴率はもちろんTverですらみられていないことから、ネット記事でも「全滅」「深刻低迷の惨状」などと言われたい放題の状態になった。
現在フジテレビが放送している主なドラマは、カンテレ制作のものも含めて5作品。
月曜9時の「絶対零度」。月曜10時の「終幕のロンド」。火曜9時の「新東京水上警察」。水曜10時の「もしがく」。木曜10時の「小さい頃は、神様がいて」。
フジテレビはこれら5作品をゴールデン・プライム帯の主要ドラマとして放送し、そして全滅状態になってしまっている。
特にフジテレビにとって最大の痛手となっているのは三谷幸喜にすべてをゆだねて制作した「もしがく」の視聴率が壊滅しているという点。
このドラマはフジテレビが三谷幸喜の要望を最大限反映し、主役級豪華キャスト陣と、一話あたり8000万円とも言われる制作予算で、三谷幸喜の半自伝的ドラマとして制作した完全オリジナル作品。
放送前にはTBSの大ヒットドラマ「VIVANT」にちなんで「フジのVIVANT」などとも言われていた。
しかしフジのVIVANTこと「もしがく」は大ヒットどころか大惨敗状態。
視聴率が一番高かったのは初回放送で、世帯5.4%、個人3.1%。
予算のかけ方を考えたら世帯視聴率で2ケタは取りたいと言われていたが、現実はその半分。
しかも第2話以降からは視聴率はさらに転落し、第5話の視聴率は世帯で3.8%、個人2.1%となってしまい、
実態に近いとされる個人視聴率ベースで考えると、初回放送以降3分の1の視聴者が離脱したと言える。
個人視聴率でみると「もしがく」は放送されるたびに視聴率が転落していることから、良くて横ばい、下手をすればさらに下落する可能性もある。
そしてもう一つ、あいかわらず危機的な状況にあるのが月9ドラマ枠。
もともとはフジテレビの看板枠として圧倒的視聴率だったこのドラマ枠だが、2023年の夏以降は見てない人も見ていることにする世帯視聴率でさえ1ケタが続き、特に2023年夏と秋には連続で「歴代ワースト視聴率」を更新。
そして今期放送中の「絶対零度」も、歴代ワースト級の視聴率。一番高かったのが初回放送で、世帯6.5%、個人3.6%。それ以降は世帯で5%台、個人で3%台が続くほどに低迷状態。
月曜10時の「終幕のロンド」も、一番高かったのが初回放送での世帯5.9%、個人3.1%。それ以降視聴率は低迷し、第3話にて世帯4.6%、個人2.3%。
火曜9時の「新東京水上警察」は、初回放送の視聴率が世帯6.0%、個人3.1%を記録し、それ以降の視聴率は不明。
木曜10時の「小さい頃は、神様がいて」は初回放送の視聴率が世帯5.0%、個人2.8%。それ以降は下降し、第4話では世帯3.3%、個人1.8%になった。
こんな感じで、見ていない人も見ていることにしてしまう世帯視聴率ですら一番高くても6%台だったうえに、個人視聴率に至っては2%から3%台という状況に。
更には民放による見逃し配信サービス「Tver」でも、ユーザーの興味関心の指標とされる「お気に入り数」が低迷しているとのこと。
フジテレビといえば2025年の一連のフジテレビ問題のインパクトが大きいものの、視聴率自体は2023年の段階で著しく低迷している。
また「もしがく」は非常に多くの制作予算が使われていることから、「お金がないから視聴率のとれるドラマが作れない」ということにもならないと言うのが現実。
11月2日に掲載されたピンズバNEWSのネット記事では、今期のフジテレビのドラマについて「どれも絶不調」「視聴率が大変厳しい」とし、
民放各局も全体的に苦戦が目立つ中でも、フジテレビだけは飛びぬけて悲惨な数字であることから「全滅状態」などと説明。
また、11月1日に掲載された週刊実話WEBのネット記事によると、特に三谷幸喜「もしがく」の惨敗によってフジの営業たちが悲鳴を上げているとのこと。
現在もしがくは「フジのVIVANT」どころか、「高コスト低視聴率の代名詞になりつつある」とのことで、責任問題に発展するのも時間の問題だという。
「もしがく」第5話レビュー
以上、パウラちゃんねるがまとめた話題のご紹介でした。
それではここからは、今期一応Tverで倍速視聴している「もしがく」を第5話まで視聴したので、今回はそのレビューをしたいと思いますが、
「もしがく」の第5話を視聴した結果、パウラは正直「あ、これもう絶対だめだ」と思いました。
その理由は簡単で「このドラマは視聴者が見たいと思うシーンをきちんと見せてくれない」という、文字通りの期待外れドラマになってしまったからです。
一応知らない人のために簡単に「もしがく」のあらすじを説明すると、
このドラマは1984年の渋谷のストリップ劇場を中心に、裏方スタッフや駆け出しの漫才師、新人作家などが織りなすドタバタ青春群像劇。
菅田将暉演じる演出家が劇団を追い出されて途方に暮れていたところ、たまたま潰れかけのストリップ劇場に拾われ、寄せ集めの素人キャストたちと共に「シェイクスピアの演劇」を成功させるべく奮闘するというストーリーで、
第4話まででは、なんだかんだリハーサルはうまくいき、いよいよ第5話にて「シェイクスピアの本番」というところまで来ました。
で、いよいよ「ストリップ劇場を舞台にしたシェイクスピアの演劇の本番」が第5話だったわけです。
ここで立ち止まって、お兄様とお姉様に質問です。
ここまで来たら、視聴者はいったい何を期待するでしょうか?
それはもちろん「潰れかけのストリップ劇場を舞台に、寄せ集めのスタッフたちでどんなシェイクスピアの演劇を見せてくれるのか」という事だと思います。
パウラは初回放送から第4話に至るまで、主演の菅田将暉が扮する演出家が意味もなく周りの人たちにブチギレる模様を見せつけられ、
ストリップ劇場の経営者が「経営が厳しくて明日からどうしよう」みたいな泣き言を聞かされたり、
場末でくすぶる売れないお笑い芸人やコメディアンや付き人の新人作家たちがカビ臭いお笑い論をゴチャゴチャ話している様子を見せつけられ、
ストリップ劇場のすぐそばにある神社の潔癖な巫女さんが、こっそりストリップを見ている父親と大喧嘩したりとか、
小1の息子を持つシンママストリップ嬢が、子供の情操教育を心配して現れた学校教師に逆ギレして追っ払う意味不明な展開もがまんして、
時代も全然異なる、いっさい接点のない社会不適合者集団の不毛な逆ギレと揉め事をゴチャゴチャゴチャゴチャと第4話まで見せられたわけですから、
それを見せられたパウラが期待するのは、「この常識のない社会不適合者集団の意味のない揉め事が、最終的にシェイクスピアの本番でどう回収されるのか」ということなわけですね。
で、結果どうなったかというと、
第5話では、なんとその一番見たかった「シェイクスピア」の本番シーンが、丸ごとカットされてしまったんですよね。
正直パウラは最初Tverで見ているのに放送事故かと思いました。
ふつう4話まで引っ張って引っ張って引っ張って引っ張ったんだから、なんなら第5話をまるごと本番シーンに費やして、これまでの楽屋裏の出来事の伏線が全て回収されて見事なお芝居をやりきっても良いし、
反対に伏線が回収されきってこれまでの通りのドタバタが描かれてもどっちでもいいとは思いましたが、
いずれにしても社会不適合者集団の揉め事ばっかり引っ張って引っ張って引っ張って引っ張ったんだから、第5話ではキチンとお芝居の本番を見たいと思いながら見ていました。
しかし、その期待は見事に裏切られ、なんとこれまで引っ張り続けたお芝居の本番は丸ごとカット。
なんとこの第5話でも、相変わらず話のメインは社会不適合者集団によるゴチャゴチャとした揉め事しか描かれず、
お客さんが入った後、上演のカーテンが上がったと思った瞬間、なんとお芝居の本番が終わった後まで一気にタイムスリップ。
シェイクスピアの演劇の本番シーンは全カットされ、主演の菅田将暉演じる演出家が演劇の出来栄えを「史上最低」と評しながら缶ビールを飲んで嘆いている姿を見せられる事態になりました。
おい、フジテレビ。
史上最低なのはこのドラマの展開だろーがいいかげんにしろ!
ということでこの動画のタイトルの伏線回収もしたので、なんでこんなことをフジテレビがやっているのかと考えたら、
それはまぁ視聴者の見たいものが何も分かってないフジテレビだからという話ではあるんですけど、
仕方ないのでもう少し踏み込んで考えると、たぶんこれはタイトルのとおり楽屋裏を舞台にした話だからという事ではあると思います。
この「もしがく」の正式名称は「もしもこの世が舞台なら、楽屋はどこにあるのだろう」という名前で、裏方スタッフの奮闘を描いた青春群像劇なわけですが、
つまりこれは「俺たち裏方にとって楽屋裏で起きることこそ本番で舞台なんだよ」みたいな意味だと考えられます。
だから、視聴者からしたら意味のない、見ているだけでウンザリするようなドタバタこそが「もしがく」の本番だということで、
シェイクスピアの本番シーンは「俺たち裏方にとっては本番じゃないからドラマではカットした」みたいなことなんじゃないかと思います。
とはいえさすがに楽屋裏の集大成こそが演劇の本番になるわけで、それが見られないなら「じゃあひたすら社会不適合者な赤の他人の揉め事を見続けろってか」って話になります。
ここまで「青春群像劇」という言葉を、視聴者の気持ちを無視して制作側の都合のいいように使ったドラマをパウラは知りませんね。
つまり、期待したシーンが一切描かれず、見ず知らずの社会不適合者たちによる怒涛の逆ギレを一か月以上にもわたって見せられただけに終わるという、文字通り「期待外れドラマ」になってしまったわけです。
おい、フジテレビ。
お前らは視聴率を取らなきゃいけないこの局面でもテレビ特有の「文句があるなら見なきゃいいじゃん」の精神を発動させてんのかよ、アーン?


