GTO令和版が爆死した理由、完全に言語化され逝くwww

『GTO』のリメイクは、なぜ期待していた視聴者をつかめなかったのか。Xで「1話で切った」と語った投稿者は、鬼塚が「ただの生徒思いの良い先生」になっていたと指摘した。昔の鬼塚を知っている人が待っていたのは、学校の常識をひっくり返すほどの無茶と、その先にある痛快さ。優しく生徒を見守る鬼塚には、それが足りなかったという。

名字ケンシロウさんが9月27日に挙げたのは、自死を考える生徒に寄り添う場面だ。昔の鬼塚なら、屋上から逆さづりにしたり、チキンレースに巻き込んだりして、生徒に本当に死ぬ覚悟があるのかを突きつけたはず。そんな鬼塚を期待していたからこそ、横にいて優しく見守る姿に肩透かしを食らった。

投稿者が『GTO』の魅力として挙げたのは、現実では許されない型破りな教えで問題の本質をあぶり出し、教育委員会にまで盾突く姿だった。学校の建前も大人の都合も踏み越えるから、鬼塚が来れば何かが起きる。そこを丸く収めてしまえば、「GTOである必然性が薄い」という不満につながる。

返信欄でも、この違和感を言葉にする人がいた。Steveさんは、替え玉受験をさせるほど無茶な人物が、奇跡的に良い結果を生んでしまうところが面白いと説明。本当に良い先生になってしまうと、物語として面白く感じられないという。鬼塚の乱暴さやめちゃくちゃさまで含めて、作品を楽しんでいたわけだ。

名字ケンシロウさんには、令和の鬼塚が画面の奥のBPOやSNS炎上を気にしているようにも見えたという。世間の基準に合わせて言いたいことを飲み込む鬼塚。主人公の反骨心を楽しみにしていた視聴者からすれば、ここは痛い。周囲の顔色を気にする鬼塚に、学校の理不尽をぶち壊す役を期待しづらくなる。

わいとさんの返信は、さらに短くて容赦がない。「分かる」に続けて、「もはやTPOに名前変えて放送して欲しい」。時と場所と場合に合わせて振る舞う先生なら、GTOよりTPOがお似合いだという皮肉だ。型破りな教師が看板の作品で、空気を読むほうが目立ってしまう。たった一文字の違いが、その物足りなさを言い当てている。

キングさんも、当たり障りのないことしかできないなら、わざわざリバイバルする必要があるのかと返信した。平成初期のノリを今の時代へ持ち込むことを期待していたという。昔の作品を復活させれば、あの頃の鬼塚を見たい人が集まる。その期待に対し、序盤から穏当な先生を見せられたら、続きを見る気がしぼむのも分かる。

生徒に寄り添う先生のドラマを見たいなら、選択肢はいくらでもある。『GTO』を選んだ人には、鬼塚だからできる荒っぽい突破口を見せてほしい。優しさがあっても、そこから何をやらかすのかが見えてこない。その落差が、第1話で離れた投稿者の不満だった。

続きについては、ハム輔さんが「4話からはいつもの感じになってた」と返信している。2話までは心配していたものの、今は普通に見られるという。ただ、以前と同じようにも感じるとして、新鮮さへの注文は残した。

この返信に、名字ケンシロウさんは「はやとちりだったかもしれません」と返した。続きを見た人の話を聞いて、第1話だけで判断したことを振り返っている。

それでも、4話まで待ってもらうには、第1話で続きを見たいと思わせる必要がある。昔の鬼塚を期待して戻ってきた人が、最初に感じたのは「ただの良い先生」への物足りなさだった。後から『GTO』らしさが出てきても、その人はもう見ていない。

今回の投稿と返信から見えるつまずきは、『GTO』の看板が呼び込んだ期待と、序盤で見せた鬼塚の姿との落差だ。リメイクで再び視聴者をつかむなら、鬼塚が今の学校で何をぶち壊し、どんな無茶で生徒を救うのかを早く見せてほしかった。優しくなった鬼塚に、昔の視聴者が求めていた破天荒さが届かなかった。

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